前回の記事では、成膜の原料ガスを「プリカーサー(precursor)」というカタカナ表記で記述しました。
当時は、CVDプロセスにおけるprecursorが「成膜原料」という意味で慣用的に使われている点は理解していたものの、一般的な化学用語としての「前駆体」とはニュアンスが異なると感じており、日本語の「前駆体」という語にその意味が含まれるのか疑問に思っていました。また、技術資料でも「プリカーサー」というカタカナ表記が散見されたため、記事にはそのままの表記を用いました。
しかしその後、特許明細書では「前駆体」が圧倒的に用いられていることを確認し、表記の整理が必要だと感じました。
成膜の出発点
CVD(化学気相)プロセスでは、まずprecursor(プリカーサー)と呼ばれる原料ガスをチャンバに導入し、成膜が始まります。この物質が、薄膜材料の供給源となります。
一般化学における「前駆体(precursor)」
理化学辞典第5版では、「前駆体(前駆物質)」は次のように定義されています。
英 precursor。プレカーサー,前駆体,先駆物質ともいう。着目する生成物の前の段階にある一連の物質を指すが,一般には1つ前の段階の物質をさす。
たとえば、ある生成物Cを合成する反応経路がA⇒B⇒Cである場合、BはCの前駆体、AはBの前駆体、となります。直前の中間体というニュアンスが含まれることになります。
成膜技術におけるprecusor(成膜原料)
成膜分野では、このprecursorがより具体的な意味を持ちます。
CVD法とは、「目的となる薄膜の原料ガス(気体)を供給し、熱、プラズマ、光などのエネルギーを与えて化学反応により膜を堆積する方法」と定義されます(出典:「CVDとは」株式会社ニデック)。
ここで「原料ガス(気体)」が、precursorに該当します。
具体的な要件として、
- 膜の構成元素を供給する出発物質であること
- チャンバに導入可能な安定性を持ちつつ、基板表面で分解・反応する程度の反応性を有すること
- 供給形態は気体に限らず、液体や昇華性固体でもよいこと
たとえば東京エレクトロンの特許(JP2015160963A)では、ルテニウムカルボニル(Ru₃(CO)₁₂)がprecursor(成膜原料)として用いられています。これは固体の状態で容器に収められ、ヒーターで加熱して昇華させた後、COキャリアガスとともにチャンバに供給されます。
このような物質を、precursor gas(前駆体ガス)、solid precursor(固体前駆体)などと表現します。
特許における表記:「前駆体」が多数派
J-PlatPatを用いた確認では、現時点で以下のような傾向が見られました。
「明細書」「成膜」「プリカーサー」で検索:449件
「明細書」「成膜」「前駆体」で検索:32,625件
このように、特許文書では「前駆体」が事実上の標準用語となっており、今後の翻訳・記事でも、「precursor」は原則として「前駆体」と訳す方針で統一するのが適切と判断しました。
参照:
「化学気相成長(Chemical Vapor Deposition: CVD)法の基礎」(Journal of the Vacuum Society of Japan Vol59, No.7, 2016 11-17p)
「CVDにおける前駆体とは?高品質薄膜形成のカギを解く」(Kintek Solution Ltd)
コメント