固体でも「拡散」する ― EUVミラーと水素の侵入

a group of trees 特許明細書

拡散は、固体でも起きる

拡散と聞くと、空気中の香りや水中のインクのような、流体中の現象を思い浮かべないでしょうか。

確かに拡散とは、気体や液体がじわじわと広がっていく現象としてよく知られています。

ところが実は、「固体の中でも拡散は起きる」のです。しかも、材料設計という点からこの固体中の拡散こそ、非常に重要な意味を持ちます。

たとえばEUV露光装置に用いられる反射型光学素子(ミラー)では、外部から侵入した水素原子がミラー内部へとゆっくり拡散し、構造を変質させてしまう場合があります。

この水素の拡散によって、層構造が乱れたり、反射特性が低下したりといった、光学性能の劣化が引き起こされてしまうのです。

※前回の記事ではこの現象を「汚染」と表現しましたが、今回はその中でも特に、水素による内部構造の変質に焦点を当てています。

きっかけ:特許明細書での「拡散」の設計課題

現在対訳を進めている特許【WO2014139694】には、次のような表現が登場します。

The first layer serves as a hydrogen barrier for significantly reducing or preventing further diffusion of hydrogen into the underlying multilayer system.

(参考自分訳:第1層は、水素バリアとして機能し、下方の多層膜への水素のさらなる拡散を著しく低減し、またはこれを防止する。)

EUV露光装置内では、ミラーの性能劣化をもたらす水素の侵入が汚染課題とされており、本発明はその一因となる拡散への対策として、水素バリア層を設ける構成を採っています。

拡散とは?

理化学辞典(第5版)によると拡散(diffusion)とは、:

異種の粒子の混合系が熱平衡状態に近づく際に起こる濃度分布の変化の過程

とされていますが、もう少し平たく言えば、

“物質が自発的に広がっていく現象”

です。

固体内の拡散メカニズム

拡散は、気体や液体に限られた現象ではなく、固体内でも起こります。では、固体内ではどのような仕組みで原子が移動するのでしょうか。

拡散の駆動力は、液体でも固体でも基本的に温度(エネルギー)です。固体中では、結晶構造や原子サイズの違いによって、主に次の2つのメカニズムが知られています。

格子間拡散(interstitial diffusion)

主に小さな原子(例えば、水素・炭素・窒素など)が、金属結晶の格子構造の隙間をすり抜けて移動する現象。

※青丸が金属結晶の原子、赤丸がそれに比較して相当に小さい原子(格子間原子)

置換型拡散(Substitutional diffusion)

結晶内にある「空孔」に、別の原子が移動して入り込むことで、原子の位置が変わっていく現象。

※空孔の隣の原子Aが、空孔に移動し、原子Aの元いた場所が空孔になる

課題:水素の侵入によるミラー性能の劣化と保護層の課題

ここまで、拡散が固体中でも起こることを確認しました。では、EUV露光装置のどの部分でこの「拡散」が問題となるのでしょうか。

EUV露光装置では、透過型ではなく反射型ミラーが用いられます。

出典:AGC旭硝子

たとえばSi/Mo多層膜を用いた構造で、高い反射率を実現しています。この高反射性能を維持するには、ミラーの構造が安定してることが前提です。ところが、反応性の高い水素がミラー表面から徐々に侵入すると、内部構造に変化を及ぼし、反射率の低下をひきおこしてしまいます。

そのため、最初の対策としてミラーを保護する保護層が設けられました。しかし、これだけでは十分ではありません。実際には、反応性の高い水素が保護層内にまで侵入し、層間剥離気泡形成(ブリスタリング)といった問題を引き起こす可能性があります。

ここでの「ブリスタリング」とは、材料中に取り込まれた水素などの気体が内部で成長し、その内圧によって表面が局所的に盛り上がる現象を指します。この水ぶくれのような変形が、光学性能に悪影響を与えます。

参照:
「SOQ基板の製造方法」(信越化学工業、特開2008-124208
五十嵐慎一 ほか:「ブリスタリングによる応力変調を利用した局所シリコン酸化の観察」, 表面科学Vol25, No.9, pp.562-567, 2004

解決策:2層構造による拡散対策

この水素の侵入による光学性能の劣化を防ぐため、明細書では、保護層を2層構造とし、それぞれに異なる役割を持たせる設計が提案されています。

これは、水素に対する溶解度の違う材料を各層に用いることで、まず水素拡散を抑制し(役割①)、次に水素拡散を遮断する(役割②)、という二段構え構造を採用しています。具体的には、

  • 第2層(外側、図のピンク蛍光部分)では、(水素に対する溶解度が高い材料を用いて)外部から侵入する水素を極力吸収することで、内部への水素到達を抑制(役割①)し、
  • 第1層(内側、図のオレンジ蛍光部分)では、(溶解度が低く水素が入りにくい材料を用いて)多層膜系への更なる拡散を防ぐ「拡散バリア」として機能(役割②)させます。

明細書での記述は以下の通りです。

This object is achieved by an optical element comprising an EUV radiation reflecting multilayer system, and a protective layer system applied to the multilayer system and having at least a first and a second layer, wherein the first layer, which is situated closer to the multilayer system, has a lower solubility for hydrogen than the second layer, which is further away from the multilayer system.

(参考自分訳:この目的は、EUV放射を反射する多層膜系およびこの多層膜系に適用される保護層系によって達成される。該保護層系は、少なくとも第1層および第2層とを有し、このうち第1層は多層膜系に近接して配置され、多層膜系からより離れた第2層よりも水素に対する溶解度が低い。)

材料の役割の違い ー高溶解度と低溶解度-

水素溶解度のちがいがなぜ異なる役割へとつながるのでしょうか。

金属における水素溶解度とは、その金属材料が内部にどの程度、水素原子を取り込んでを保持できるかを指す指標です。

これを踏まえ、水素を保護層の第1層と第2層との役割をまとめると以下のようになります。

高溶解度材料(例:Zr、Ti、Pd)

  • 水素を吸収しやすい
  • 一時的なバッファ層として機能
  • ブリスタリングが起きにくい

低溶解度材料(例:Mo、Ru、Ni)

  • 水素がほとんど吸収されない
  • 拡散バリア層として機能
  • ただし、水素が入り込むと逃げ場がなくなり、ブリスタリングが生じやすい

なぜ低溶解度材料はブリスタしやすいか

低溶解度材料では、水素がほとんど吸収されませんが、わずかに侵入した水素が欠陥・粒界に蓄積しやすくなります。この滞留した水素が気泡化し、層剥離ブリスタリングを引き起こすい原因となります。

粒界とは、結晶粒と結晶粒との境界のことです。

出典:粒界とは(キーエンス

おわりに

「拡散」という現象は、固体でも実際に起き、EUVミラーの汚染・劣化を引き起こします。その対策として、保護膜を2層構造にし、材料設計が用いられていました。

次回は、この2層構造の保護層内部で、どのような作用が起きるかをまとめます。

参考資料:

『100万人の金属学 基礎編』 幸田 成康 (編)

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